田中角栄を総理大臣にした秘書で愛人の佐藤昭子(あきこ)人生とは

2019年3月4日、番組「1番だけが知っている」で田中角栄さんを大統領にした女として佐藤昭子さんが特集されます。

 

田中角栄さんを支えた女性ですが、佐藤昭子さんの名前は知らないという人も多いのではないでしょうか?

 

今回は、そんな佐藤昭子さんについてまとめてみました!

スポンサーリンク

佐藤昭子とはどんな人物?

 

佐藤昭子(旧名:佐藤昭/さとうあき)

 

1928年8月5日に新潟県刈羽郡枇杷島村で生まれる。

 

両親は雑貨店を営み、6人兄弟の末っ子として育てられた。

 

一番上の姉は昭さんが生まれる前に亡くなっていて、1944年までに父母、兄2人、姉2人と死別する。

 

小学校の頃からそろばん塾に通っており1級を取得している。

 

高校では陸上部の短距離走の選手と体育会系であった事がわかる。

 

将来は数学の先生になることを夢に東京女子専門学校に進学したが、戦災と戦後の混乱の中、中退することとなった。

佐藤昭子と田中角栄の出会い

1946年衆院選時に選挙活動をしていた田中角栄と出会うこととなる。

 

その後、選挙活動を手伝うこととなり1952年に田中角栄の秘書となった。

 

田中角栄の個人事務所の政治団体・越山会の統括責任者などの要職を歴任。

 

彼女の人生は田中角栄との出会いによって大きく変わることとなった。

 

そして田中角栄は佐藤昭との出会いによって総理大臣にまで登りつめることとなる。

佐藤昭子の壮絶な人生とは

佐藤昭がまだ秘書になる前、田中角栄の応援演説を行った男性と結婚し息子を出産、その後離婚している。

 

東京電力社員と2度目の結婚をするも離婚。更には田中角栄との間の娘を授かり出産した。

 

田中角栄の愛人であり秘書である佐藤昭は、莫大なお金を動かしていた。

 

元々は田中角栄の選挙の手伝いだった彼女だが階段を駆け上るかのように出世している。

 

田中角栄が総理大臣になれたのも、佐藤昭の手招きによるものだというのだから驚きだ。

 

田中角栄が歴史上に大きく名を残したのもすべて彼女のおかげだった。

 

田中角栄が脳卒中で倒れ、政治生命を失うと田中眞紀子によって事務所が閉鎖され佐藤昭は解雇された。

 

解雇後、田中角栄とは一切会えず死去した時の対面、通夜の葬式にも行くことが出来なかった。

 

原因は田中眞紀子と佐藤昭の対立関係にあったと言われている。

 

2010年3月11日に亡くなった佐藤昭だか、世間には彼女の存在が広まることは無かった。

スポンサーリンク

最後に

田中角栄さんを支え続けてきた佐藤昭さんですが、多くの人が名前を知らないようです。

 

ボクも田中角栄さんは知っていましたが、裏ではそのような出来事があったとは…

 

今回「一番だけが知っている」番組で知られることとなるでしょう!

 

それでは。

スポンサーリンク